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2017年12月23日土曜日

殴られて野球はうまくなる!? (講談社+α文庫) 元永 知宏 (著)

古いのではない。間違っているのだ。

 野球における暴力には2種類ある。 一つは部員同士、主に先輩が後輩にふるう暴力、もう一つが指導者が選手にふるう暴力。
 小宮山悟は早稲田大学野球部時代に先輩から受けた暴力について、
「その場は、『理不尽なことをされたけど、仕方がない』と消化しただけで、やられたことを感謝することなんて絶対にありません」と断言する。
 切腹発言で物議をかもした開星高校の野々村直通・元監督は、
「体罰という言葉は教育の範疇に入る用語である。本来、体罰は教育現場で教師に与えられている懲戒権の中の一つであって、あくまでも生徒を立派に育て上げ、社会に通用する人間にするための手段である」と指導者による体罰の必要性を説く。
 さまざまな人たちの声を最大公約数的にまとめると、
“適格だと認められた指導者が本当に選手のことを思い、しかるべき理由があって、それを指導者と選手が共有する場合にのみ、暴力は暴力でなくなる。”
ということになるらしい。
 スキーに行って骨折した部員をボコボコにする大学野球の監督の話が出てくる。こんなヤクザまがいの人間が指導者の地位を与えられているのが野球界の現実だ。

 著者は、暴力的な指導のない中南米の野球や方針を変えて部員の増えたボーイズリーグのチームなどの例をあげながら暴力なしでチームを強くする方法」はひとつではないはず」と暴力を捨てることを提言する。
 暴力的指導をうけてきた人たちの多くの人たちからよく聞かれるのが「そういう指導は古い」というニュアンスの言葉。暴力的指導を否定することは自分の野球人生を否定するとでも言うのだろうか。暴力に屈した人間を蔑み、耐えた自分を自慢したいのだろうか。そういうやり方は、古いのではなく、間違っている。それを認めないから、「悪いとは分かってはいるけど」と暴力を手放せないのだ。