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2017年11月9日木曜日

永遠のPL学園―六〇年目のゲームセット 柳川 悠二 ・著(小学館)

春夏あわせて37回の甲子園出場、歴代2位タイの96勝、春3回 夏4回の優勝。木戸克彦、西田真次、吉村禎章、桑田真澄、清原和博、立浪和義、宮本慎也、福留孝介、今江敏晃、前田健太など80名以上のOBをプロ野球に送り出したPL学園野球部。
 高校野球の代名詞とも言える超名門野球部の最後の時間の取材と同時並行で関係者などにも取材し、なぜ廃部にならなければならなかったかを探るノンフィクション。
 元々、都市対抗への出場を目指す社会人チームから始まったという野球部は、二代教祖・御木徳近の寵愛を受け、高校野球の名門となっていく。強い野球部が教団の教えを広めることに貢献し、教団の支援をうけ野球部がますます強くなっていくという黄金のサイクル。 
 「笑顔禁止、恋愛禁止」「風呂では湯船に浸かってはならず、シャンプーの使用禁止」など下級生に対して課されたルールは理不尽なものも多いが、昭和の時代では特殊のものではない。こういうものがストレスとなって暴力に発展。清原和博は逮捕以前に「暴力はPLの伝統です」と言ったという。
 度重なる暴力事件などの不祥事や事故きっかけに野球部に対する学園は野球部から手を引いていく。後ろ盾になってくれていた二代目教祖はすでにこの世にいない。「PL=野球部」という世間の認識を面白くないと思う教団関係もいたようだ。野球部専用の寮、特待生制度をなくし、ついには野球部員の募集を停止。部の弱体化は一気に進み、廃部への道をたどる。
 暴力、学園のトップの意向など色々な要因はあるだろうが、学園そのものの経営が立ちいかなくなったのが一番大きいのではないかというのが著者がたどりついた結論。黄金期に約265万人いた公称信者の数は2000年代に入ると約100万人まで落ち込む。信者の子どもの数が減れば学園の生徒数も減り、学校の経営も苦しくなる。「結局、人(人材)とお金が尽きたということですよ」という関係者の言葉がリアルである。
 PL最期の部員、六十二期生は12人(PL版二十四の瞳だ!)。2017年7月15日の最期の公式戦は、往年の「逆転のPL」を彷彿させる見せ場を作るも東大阪大柏原に敗れて、活動停止に。
 木戸克彦「昨年にはスポーツ屋内施設を作ってくださった。(休部状態の今も)野球部のグランドの整備を行ってくださっています。それは光明であり、希望だと思っているんです」
   OBだけでなく、PL学園野球部復活を望む高校野球ファンは多い。ただ、学園あっての高校野球である。‘永遠の学園’はいつまで‘若人のゆめ’を育み続けられるのであろうか。