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2019年2月15日金曜日

プロ野球を選ばなかった怪物たち 元永知宏 (著)

 
怪物というスケール感に負けてるんじゃないの? 著者が立教の野球部OBだからって六大学出身に偏り過ぎではないか? という突っ込みはともかく。
 山根佑太は、「何かのため」ではなく、あと1年大好きな野球をやり切ろう、と開き直った大学最終学年で大ブレーク。立教の18年ぶりのリーグ優勝、59年ぶり日本一の立役者となった。「プロに行った方がいいと言う人たちがその後の人生を保証してくれるわけではない」はプロという選択を出来る野球選手の多くに共通の思いだろう。
 オリンピック3大会に出場し、銀、銅のメダルを獲得した杉浦正則。「オリンピックにはアマチュア選手でないと出られなかったからプロには行かなかった」という"ミスターアマチュア野球"は、オールプロで出場するこの時代ならプロのユニフォームを着ていたはずだ。
 大学で「江川ではなく」とドラフト1位として口説かれ、社会人に進んでからは阪神からドラフト2位で指名された鍛冶舍巧。選手が選ぶことの出来ないドラフト制度に不信感があったという。「プロ野球を選ばなかったことで人生が広がりましたね」の言葉は、選手、指導者、解説者、企業人といずれのステージでも高く評価された成功者ゆえの言葉。
 プロに行きたい気持ちは5%、社会人野球に行きたい気持ちは0%。1年秋の優勝の周りの喜びように六大学の歴史と伝統に感動した志村 亮。オリンピックに出るとリーグ戦の半分に出られない。慶應の部員であること、六大学リーグ戦を尊重した彼が大学野球で野球のキャリアを終えたのは自然なことに思える。
 大学を強くすすめる父親に押し切られ続けた應武篤良。結局は自分がプロに行かないことを選択し、国際試合やプロに選手を送り出すことを自分の役割と割り切った。今はその役割から離れ、母校・崇徳の復活のために汗を流す。
 プロに進んだライバルたちの努力を讃え、選手を教え子ということを嫌う謙虚さ。不滅の48勝、小さな大投手、山中正竹は「あのとき、そういう決断をしたことで野球との縁が深まった」と長く、広く、深く野球に関わり続けている。
  「自分でこの道を選んだ選手は多くない」。自らもプロに進み、球団を俯瞰する立場にいる遠藤良平の言葉は意外な気がする。
 選んだのか、選ばれたのかのボーダーは実は曖昧なのではないだろうか。自分で選択し、この道に進んだことを後悔していないと言える人生は幸せだ。
 

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