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2017年4月22日土曜日

『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』矢崎 良一 (著), 伊藤 敬司 (著)

“口絵の写真を見て、「???」と思った人は多いだろう。 
そこにいるのは野球ファンならすぐにわかる顔、顔、顔。
 プロ生活22年で通算2480安打、“ミスタードラゴンズ”立浪和義。日本ハム、阪神で4番を打ったスラッガー片岡篤史。プロ通算101勝、ハマのエースと呼ばれた野村弘樹。ジャイアンツの「勝利の方程式」を担ったセットアッパー橋本清。いずれも日本のプロ野球に一時代を築いたスター。いやスーパースターたちだ。
 そんな凄いメンツに囲まれて、鶏ガラのように痩せこけた車椅子のオッサンが一人。いったい誰だ、こいつ? と。
そう、それが私、伊藤敬司である。そして、何を隠そう、彼らの同級生、かつての同級生、かつてのチームメイトだった。
(プロローグより)
自分を「鶏ガラ」と自虐的なギャグとも言えるような表現で例えられるようになるまでどれだけの心の葛藤があっただろう。
PL学園、青山学院大、JR東海と野球のエリートコースを歩んで、引退。「我が子の成長を楽しみに、仕事に打ち込む。そんな毎日が、これから10年20年と続いていく」はずだった伊藤の未来は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)によって暗転する。ALSは全身の筋力が少しづつ衰えていき、動くことも、話すことも出来なくなり、数年で死にいたると言われる不治の病。この本は、死にいたる病と関西弁で言う「必死のパッチ」で闘ったPL学園最強世代のキャッチャーの魂の証である。
 家族や介護の人たちと共に苦しい日々を支えてくれたのがPL学園野球部の仲間たち。激励会で松山千春の「大空と大地の中で」を熱唱、号泣したのは片岡篤志。酒好きな野村弘樹は見舞いに来ながら「ちょっと行こうか」かと飲みに誘ってくれる。「34期バッピエース(伊藤敬司専属)」優しき後輩の宮本慎也。立浪和義も小まめに見舞いに来て励ましてくれる。プレー中の頚椎損傷で車いすでの生活を送る先輩・清水哲は、「俺らに出来るのは、好きとか嫌いに関係なく、“生きる”こと。自分の運命を恨んでもどうにもならない。お迎えが来るまで生きよう!」と手紙でエールを送ってくれる。
 そういう大切な仲間たちと縁を結んでくれた野球。伊藤は介護のヘルパーに野球の話題をまったくしようとせず困惑させる。≪もう一度グランドにユニフォームを着て戻りたい≫と思いながら、≪どうせ叶わない夢なら見ないほうがいい≫との思いから、その気持ちを「蓋どころかコンクリートで固めて、心の奥底に沈め」ていたのだ。
 しかし、意志の力で自分の存在そのものである野球への思いを断ち切れるはずがない。JR東海の後輩の監督をしている後輩からの励ましのメールや再三の見舞いに、野球で培った人のつながりのありがたさを思い出す。「そんなこんなで、恥ずかしながら、また野球と向き合うことになりました」。
ひさびさに訪れた球場。そのときの感慨をブログに書き記す。
 “ スタンドに入った途端、自分の中で眠っていたものが一斉に目を覚ましたかのように、全身の毛穴がそこから何かが吹き出してきて、猛烈に身体が痒くなり、そのあと、ジワジワと熱くなってきた。(210ページより)
古巣のJR東海の勝利を見届けると素敵なプレゼント。「伊藤さんに、もう一度ここからの景色を見せたかったんです」と後輩が連れていってくれたのはキャッチャーの守備位置。涙が止まらない。
観戦のためなら死んでも構わないと訪れた都市対抗。試合後に会いに来てくれた橋本清。
“ 二人で試合後の照明の消えた東京ドームのホームベースの上に立ち、言葉のない会話を交わした。
≪今度生まれてきたら、またバッテリー組もうや≫
≪おう絶対やぞ≫
敬司の痩せた肩に橋本がそっと手を置き、気を送るかのように、グッと指先に力を込めた。
(219ページより)


 闘病の数年間は肉体的、精神的に苛酷な日々であった一方、何年分もの凝縮された優しさ、愛情をうけられた幸せな日々でもあったのではないだろうか。

 
2015年10月8日 永眠
伊藤敬司のたま(球)しい、永遠(とこしえ)に