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2017年4月12日水曜日

『指導力~高校野球で脱・勝利主義を目指した11人の教師』田尻賢誉 (著), 氏原英明 (著)

“指導力がないからこそ、暴力を使うのあって、暴力を振りかざす指導は、いわば、その指導者には指導力がないと周囲に言っているのと同じとさえ思っている” 
と著者は語る。
指導とは「できないこと」を「できる」ように導くこと。
時間と労力をかけた指導に取り組む監督たちをインタビューを通して紹介している。

藤田明宏監督(県岐阜商)
“ほんわかムード”で温かく生徒たちを見守る。自由にやらせる放牧にも厳しさはある。ダメだと言うことやれば、エースでも4番でもメンバーから外す。
斎藤智也監督(聖光学院)
心・技・体のうち心を重視し、ミーティングに時間を割き、人間学を語る。
境原尚樹監督(高崎)
指導者と選手との一対一の絆の強いチームを理想とする。
大浪定之監督(熊毛南)
「体罰は恐怖のムチ」。殴られるから頑張ろうではやらされていることなる、と生徒たちの自主性を重視。生徒をやる気にさせる指導を心がける。
森影浩章監督(徳島商)
少人数の学校、進学校、やんちゃ校などいろいろな環境を経験する中で、言い訳しない、できる方法を考える指導にたどりついた。
松葉健司監督(松阪)
指導哲学は“愛”。生徒たちの「感情・意欲・知性」を回して指導する。感情が湧き出たあとには意欲が出てくる。そして知りたいという気持ちが出てくる。それを回していくと変わっていくという。
森島伸晃監督(桜井)
「人間力」が指導のテーマ。野球以外のこと(土)にも一生懸命取り組ませることで人を育てる。
山本常夫前監督(神村学園)
審判員の経験から、野球公認規則を覚えさせ、試合中でも確認させる。ジャッジに食ってかかってこられるようなことも経験し、マナーを重視する。

僕自身は監督からの体罰は経験していないが(言葉の暴力はともかく)、先輩にはけっこう「かわいがって」もらった。年齢が1つ、2つしか違わない先輩たちから受けた“幼稚”な暴力と分別のあるはずの大人たちの暴力には“愛のムチ”と言われるような教育的な配慮のあるものだろうか?
プロ野球選手の約8割が体罰に賛成(否定はしないも含めて)らしい。自分の周りでも体罰に賛成、賛成とまでは言わなくても必要悪と考えている野球人は多い。本当に体罰に意味や愛情があると考えているのだろうか?体罰を否定することは野球人としてのidentityを喪失することになるとでも思っているのだろうか?年月を経れば、人間の脳みそは、つらい記憶、嫌な記憶も美しい記憶に“ねつ造”するという働きがある。暴力の記憶を美談にしているということもあるかも知れない。
結局、本人の受け止め方なんだろうが、指導という限りは生徒、部員の心や体に傷を負わせてならないと思う。
指導において暴力という手段を使わない監督、教師が増えていくことを願う。