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2018年11月21日水曜日

敗れても 敗れても 東大野球部「百年」の奮戦 門田隆将 著

 
 敗れても敗れても、それでも挑戦をやめない一風変わった集団。
 著者が興味を持ったきっかけは沖縄で「島守(しまもり)」として今も慕われる島田叡(あきら)。沖縄戦で県民20万人の命を救ったと言われる沖縄県知事は東京大学野球部の俊足巧打の外野手。島田のような人物を生み出した“秘密”を解明するべくこの集団への取材が始まる。
 野球の黎明期に最強を誇った東京大学野球部は日本野球の“原点”。しかし、その歴史のほとんどは敗北の歴史。東大最多の17勝を誇り、監督もつとめた岡村 甫(はじめ)は、今シーズン優勝することが目標なのではなく、「やがて優勝出来るチームに向かって進んでいく」ことが東大野球部の目標だと言う。10年に待てばいいピッチャーが一人ぐらいは入る。そのときが優勝のチャンス。そのときに備えてそれだけの攻撃力、守備力を鍛えておくべしと。
 史上もっとも優勝に近づいた“赤門旋風”。レギュラー9人のうち6人が社会人野球でもプレーしたタレント揃いのチームは平野裕一の肉体改造もあいまって他校と互角以上に戦えるチームに成長する。エース野口裕美を擁する立教に優勝の夢を打ち砕かれた4連戦。勝敗を分けた守備交代のドラマ。これまであまりクローズアップされたことがなかったのではなかろうか。

 4年間の在学中一度も勝てなかった時期もある。80連敗で卒業した代の副将、初馬眞人は「魂がまだ神宮に憑りつかれている」と語る。当たり前のことだがただ負け続けていたわけではない。もがき苦しみ勝利を求め続けたのだ。
 連敗を94でストップし、勝ち点奪取。岡村の言うように攻守のバランスのとれたチームに10年に一人、いや東大史上最強とも言われる救世主が現れる。宮台康平。東大の投手が力で他校の選手をねじ伏せるという稀有な体験をさせてくれた150キロ左腕なくして“快挙”はなかったかも知れない。この試合、神宮で観ていて当然、展開も結末も知っているのに関わらずドキドキした。取材対象の心の奥底に踏み込むインタビュー力と地の文にさりげなくちりばめられた情報、ぐいぐい引き込まれる筆力であの日のネット裏に僕はいた。
 東大野球部がなぜ必要なのかを考えることは学生野球がなぜ必要なのかを考えることと同義だ。

 

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