「プロ野球報道」に革命を起こした番組の25年の歴史をインタビューを通してたどっていく。
番組の25年は「佐々木信也時代」の12年と「佐々木信也以後」の13年に分かれる。「スポーツジャーナリズム」から「スポーツエンターテイメント」への転換。
パ・リーグにもスポットライトをあてる「12球団公平」、スポーツ新聞では当たり前だった「球団担当制」などの新機軸が視聴者にうける。放送開始からスポンサーが殺到、あっと言う間に国民的番組になる。
「わがふるさと」、「好プレー珍プレー」などの企画力、FNSグループのネットワークを駆使したローカル色で「二匹目のどじょう」を狙う他局をよせつかけない。放送枠も30分から拡大し、「テレビ大賞受賞」と勢いづく。
絶頂期にキャスター佐々木信也の降板。番組躍進の立役者、象徴的な存在ににプロデューサー、チーフディレクターが降板を伝えるシーンはインタビューから再現したものとは思えぬリアルさで迫る。
佐々木信也からキャスターを引き継いだのが、野崎昌一、須田珠理、中山美穂。野崎、中山はフジテレビのアナウンサーだが須田はシロウト。公募したとかオーディションしたわけではなく、たまたまゴルフ練習場ですれ違ったスタッフが抜擢したというのだ。「十二支は言えるが十二球団は言えない」と揶揄された中井美穂。しくじりやトンチンカンなコメントに視聴者からは大ブーイングも。
関西テレビのディレクターであった難波秀哉の「地上波の晩年は学芸会のようなもの」でコアなファンの番組離れを招いたという指摘には多くの「プロ野球ニュース」ファンがうなずくだろう。
「佐々木信也以後」は形はともかく1年長く続いたことも事実。大改革は失敗だったと断罪するのか、時代の流れで致し方なしと考えるのか。
「佐々木信也以後」は形はともかく1年長く続いたことも事実。大改革は失敗だったと断罪するのか、時代の流れで致し方なしと考えるのか。